2023年07月25日
地球環境
主任研究員
亀田 裕子
国や地域で製品や材料などを循環させ、できるだけ廃棄物を出さない―。そんなサーキュラーエコノミー(循環経済)の実現に向けた取り組みが加速している。カギを握るのは、製品の生産や流通などに関する情報を利用者がいつでも確認できる仕組み。それを可能にする、欧州発の「デジタル製品パスポート」が注目を集めている。
使い終わった製品を回収して再生・再利用することは当たり前になった。ただ、本当の意味で製品を持続可能な形で使うには、それだけでは不十分だ。まず製品の生産から流通、消費までの一生(ライフサイクル)を通じて環境負荷を減らす仕組みが必要になる。一方、企業や消費者にとって経済合理性がなければそうした仕組みを作っても広がらないだろう。
二つの条件を満たす上で前提になるのが、その製品の生い立ちについての情報を誰もが簡単にチェックできる仕組みだ。例えば製品を扱う小売店や、そこで買い物をする消費者は「原材料として何が使われているか」「その産地はどこで、誰が生産したのか」といった情報を知りたがるだろう。製品の耐久性や、壊れたら修理してもらえるのかといったことも判断材料になる。
つまり、それらの情報を生産や流通といった段階ごとに記録し、参照できる仕組みが重要になる。まさにそうした仕組みを作ろうとしているのが欧州委員会だ。昨年3月に公表した環境配慮設計を義務付けるエコデザイン規則案に「デジタル製品パスポート」という新しいアイデアを盛り込んだ。欧州委員会は、この仕組みの詳細を固めたうえで来年末までに欧州議会での可決を目指している。
デジタル製品パスポートのイメージ(出所)各種報道などを基に作成
エコデザイン規則案によると、企業に製品の耐久性や信頼性、アップグレードやリサイクルのしやすさなどを共通基準で登録させることになりそうだ。エネルギー効率や資源効率など環境負荷の低減を促すような情報も入っている。
企業には、それらの情報について開示義務が課される。開示を受けて行政側がデジタル製品パスポートに記録し、管理する仕組みだ。登録された情報はQRコードなどを使って誰でも確認できるようになる。消費者はこれまで以上に環境に優しい商品を選びやすくなり、企業間でも競争が起こることが期待できる。
日本でも普及の兆しはあるのだろうか。総合商社の丸紅で化学品第四部イノベーション推進室長を務める桐生愼太郎さんは「自動車メーカーや化学材料メーカーが関心を持っている」と語る。同社もプラスチックなどの循環で実証実験を進めているという。
仮に日本で実現したら生活はどう変わるだろう。架空の女性「ハナコ」のケースを見てみよう。
<購入>
1人暮らしを始めた会社員2年目のハナコは掃除機を買うことにした。家電量販店に行くと、たくさんの掃除機が並んでいる。どれを買えばいいか迷うが、そんなとき頼りになるのが製品に付いている「デジタル製品パスポート」のQRコードだ。
彼女は機能やデザインが気に入った掃除機を3つ選び、スマートフォンのアプリを立ち上げた。QRコードをスキャンするとアプリがデジタル製品パスポートのデータベースに接続。ハナコが選んだ製品の環境関連情報を比較しやすい形にして表示した。
耐久試験の結果から推測される製品寿命や消費電力などのデータは自分が支払うコストに直結するので、ハナコは念入りに比較する。同時に、生産の過程で排出した二酸化炭素の量など環境負荷に関する情報も気になった。できるだけ地球に優しい生活がしたいと思っているからだ。ハナコは品質と価格、環境への影響などを考慮して1台を選んだ。
<廃棄>
その掃除機はハナコの期待通りに働いてくれた。しかし数年後、専用充電器が突然壊れてしまった。本体は動いていたので充電器が交換できればまだ使えそうだ。
そこでハナコは掃除機本体に印刷されているQRコードをスキャンし、修理や交換に関する情報を表示させた。
それを読んだハナコはがっかりした。専用充電器の生産が終了しており、壊れた場合は充電器と掃除機を廃棄するようメーカーが推奨していたからだ。購入時に見た情報でアフターサービスの保証期間が短いことは知っていたが、もっと重視すべきだったと後悔した。しかし、嘆いていても仕方ない。ハナコは廃棄する際の送付先を確認して手続きに取り掛かった。
<回収>
ハナコが廃棄した掃除機は使用済み家電の回収業者に送られた。この業者もデジタル製品パスポートのQRコードをスキャンし、本体や専用充電器などをそれぞれどの処理業者に送ればいいか調べた。例えば処理が難しいバッテリーは「本体から取り外して条件を満たした業者に送る」といった条件が書かれている。
<再生>
回収業者からバッテリーを受け取った処理業者もQRコードからデジタル製品パスポートにアクセスし、バッテリーにどんな物質が使われているか調べる。含まれている有害物質の取り扱い方など処理する際に考慮すべき規制があるからだ。自社のシステムにデータを取り込めば、処理コストや分離・回収する物質の市場価格も分かる。
<生産者>
この掃除機のケースでは、デジタル製品パスポートのQRコードは購入・廃棄・回収・再生の過程で4回スキャンされた。実はそのたびに誰がどんな情報を見たのかが、匿名化された上で掃除機の製造企業に通知されていた。企業はその情報を基に回収などにかかる費用を税金として納めたり、廃棄がうまくいっているか確認したりする。この掃除機については「専用充電器の耐久性が思ったより低い」と分かったため、新商品では仕様を変更することにした。
この例のように、利用者は製品に付けられたQRコードなどの識別子によってデジタル製品パスポートへ誘導される。製品のライフステージに応じた情報が簡単に手に入れば、賢い消費や環境に配慮した生産が促されるだろう。
一方、普及に向けた課題もある。例えば①情報の確かさの担保②企業からの情報収集③国際的なルールとの整合―だ。これらは、欧州委員会が法制化を目指す来年末まで議論が重ねられていく予定だ。
➀の正確性の担保については、サイバー攻撃による情報改ざんなどの懸念に対応するため、デジタル製品パスポートの情報管理にブロックチェーン技術の活用が検討されている。ブロックチェーンはネットワーク上で複数のコンピュータがデータを暗号化して共有し、不正を防ぐ技術だ。
ブロックチェーン技術の特性例(出所)各種報道などを基に作成
➁の情報収集が難しいのは、企業が製品に関する詳しい情報を入力するのをためらうからだ。製品に含まれる原材料の種類や量は企業秘密の一つ。企業の懸念を踏まえて、デジタル製品パスポートを欧州で先行して提供しているオランダのCIRCULARISE(サーキュライズ)は、「ゼロ知識証明」を応用した独自の特許技術を使い、情報の信頼性や機密性を守る仕組みをブロックチェーン上に構築した。ゼロ知識証明は、詳細を公開せずに信頼性と機密性を担保していることを暗号で証明する手法。
この仕組みの導入により、開示する情報のレベルなどを選択できるようになっている。例えば「Aという材料が1%入っている」という情報をそのまま公開すると企業秘密に抵触する恐れがある。その場合は「5%未満である」などと機密を守りつつ公開性も担保する。
丸紅が進めている実証実験でもサーキュライズの技術を使っている。丸紅の桐生さんは「このプラットフォームの機密性や柔軟性について知れば安心するはず」と期待する。安全性が確認できれば普及に弾みがつきそうだ。
新型コロナウイルス感染症の世界的大流行(パンデミック)やロシアによるウクライナ侵攻をきっかけに、サプライチェーン(流通網)が途絶するリスクが浮上。米中対立が激化する中で「人権に配慮した生産が行われているか」といった環境以外の情報も重要性を増している。
デジタル製品パスポートが実現すれば、企業がこうしたことに配慮しながら流通網を再構築する際の助けにもなるだろう。循環経済を後押しするだけでなく、日本の産業の効率化の面からも普及が急がれる。
デジタル製品パスポート(イメージ)(出所)stock.adobe.com
亀田 裕子